うつ病と過敏性腸症候群をこじらせて2週間休職した話

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タイトルの通り、約2週間休職していました。

「まさか自分がうつ病に…」という気持ちが未だにあるのですが、自分の身とココロに何が起こったのか、備忘録的に時系列を追って記しておきます。

長文になってしまいますが、お付き合いいただけたら…。

 

4月~10月上旬「異動」

振り返ると、引き金は異動でしたね。

入社から2年間は、広告会社の中でも「メディア部」というスタッフセクションにいました。

広告を出稿したいクライアントと広告を掲載してもらいたいメディアとの間に立って仕事をするので、利害の対立する両者の板挟みになったわけです。

広告枠の料金・条件交渉をしたり、出稿までの進行作業をしたり、まあ主には打ち合わせと称した飲み会を繰り広げたりなど、エキサイティング()な日々。

もともとイケイケドンドンな体育会系パリピコミュニケーションは得意でなかったので、それはそれはストレスフル・・・。

ですが中堅代理店のテレビ担当ということで、残業と休日出勤はそれほど多くなく、ある程度は自由のきく仕事をしていました。

 

その後、いくつかのクライアントを担当して広告や販促企画を提案し、社内スタッフの陣頭指揮を執る「営業部」へ異動したのが4月。

担当したクライアントが複数かつ特殊ということもあり、残業時間は毎月90時間を越え、休日出勤もほぼ隔週と飛躍的に増えてしまいました。

それでも異動は希望でしたし、社内からの期待等々目に見えない麻薬みたいな成分がドーパミンをドバドバ分泌させるわけですよ。

そして9月~10月にかけて案件量がピークを迎えた頃には、出社してからの記憶がほとんど無いような、誇大表現でもなんでもない「作業処理マシーン」と化していました。

 

10月中旬「異変」

体育の日があった3連休、案件が少し落ち着いたこともあり、溜まった代休を重ねて実家のある岐阜へ帰省したのですが、そこで最初の異変が起こりました。

明朝、腹部をガシッと鷲掴みにされて引っ張られるような、経験したことのない異常な痛みで目が覚めたのです。

もともとお腹はゆるい方だったので下すことは日常茶飯事だったのですが(症状が症状なので汚い話になっていきますすみません…)、これは何かがおかしいと即座に判断。

すぐさまトイレに駆け込み、冷や汗をかきながら用を足し、15分程は痛みで動けずにいました。

実家にいる間も痛みで眠れなかったり、ようやく寝られても便意を催して目が覚めてしまったりと、生活に異常をきたす様に。

何か口にしても、食後すぐあるいは食事中にトイレに立ってしまうようになってしまい、恐怖心から食べる事ができなくなっていきました。

 

ところがどっこいですね、広告会社の営業をやっていると、なぜか休日もバンバン業務連絡がくるわけですよ。

携帯は鳴り止まらないし、休暇中も毎日2~30通はメールを書いたり資料を作っていたと思います。

冷静になると会社に行っている間は気付いていなかっただけで、ぼくにとっては「当たり前の毎日」。

ところが休んでしまったことで、会社で作業が出来ず、やらなきゃいけないけど全貌の分からないタスクがドシっとのしかかった気持ちになりました。

極めつけは、連休最終日に発覚した大規模トラブル!

言い訳できないほどぼくが悪いのですが、記憶の無い「作業処理マシーン」だった頃にやらかしていたのは言うまでもありません。

 

タスクの波を乗りこなす日々を断絶したことで溺れてしまい、過酷な状況が招いたトラブルが発生し、さらには未曾有の体調不良。

電話を終えた直後に、意図せず口からこの言葉がこぼれたことを未だに忘れられません。

「俺、ダメかも。」

 

10月下旬「告知」

連休後、諸々すべきことはあったのですが、お腹の病状がみるみる悪化してしまったのでまずは病院へ。

血を抜かれ、上からも下からも(すみません)カメラを突っ込まれました。

結局10月いっぱいは3日おきくらいで病院へ通い、その間も1日10回は下痢に苦しめられ、酷い日は下血もしました。

2週間ほどで体重も5キロは痩せていたと思います。

だって全くといっていいほど食べられなかったし、食べても下すしで、毎日ポカリとゼリー飲料だけの生活…。

不思議だったのは、吐き気は一切なかったんですよね。

なので早々にノロウイルス感染症の可能性はなくなり、残すはクローン病潰瘍性大腸炎あたりに絞られました。

病名が聞き慣れないと思うので、もしよければ下記リンクをご参照ください。

www.tanaka-cl.or.jp

両者とも国指定の難病でして、しかも祖父と叔父が発症しているので、この頃には僕の不安は最高潮でしたよ…。

特に叔父は広告会社でクリエイティブ・ディレクターをしている僕の憧れだったのですが、潰瘍性大腸炎を理由に仕事を辞めてしまったので、僕にとっては忌むべき存在。

そして検査結果を伝えられる日、心臓バクバクで待合室から診察室に呼ばれたのですが、かかりつけ医から告げられたのは予想だにしない結果でした。

 

「…よかったね、どこも悪くないね!」

 

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そんなバカな!!!!!!

だって現に1日10回は下痢してるし、食欲はないし痩せ細るし、ケツから血まで出てるんですよ!!!

ところが医師いわく、血液を見てもケツにカメラを突っ込んでも形質的異常は見つからなかったの一点張り。

(ケツから出血したのは”切れた”のが原因じゃないかと。連呼してすみません)

じゃあなんで僕はこんなに苦しいんですかと。

それは「過敏性腸症候群」だから、と医師は言うんですよ。

過敏性腸症候群IBS)は広く知られた病気?で、電車の広告等で名前を見かける方も多いかと思います。

ibsnet.jp

IBS」(過敏性腸症候群)とは、下痢や便秘などの便通異常をともなう 腹痛や腹部不快感が、慢性的にくり返される疾患のこと。

現代のストレス社会では急増している病気のひとつです。

腸と脳には密接な関係があり、脳が不安やストレスを感じると、 その信号が腸に伝わって影響を与えてしまうのです。

 …いやいや、重々存じあげておりますって!

たしかに不安にもストレスにも自覚はありますし、なんなら過去にIBSだと別の医師に言われたこともあります。

でもでも、いくらなんでも症状が酷過ぎなんじゃ…?

その不信感を医師にぶつけてみたところ、「病気を放置し、ストレスのレベルが最高潮に達したことで、非常に悪化してしまった」ということでした。

たしかに以前IBSと診断を受けた際は、「どうせ体質だし我慢できる範囲だし別にいいや」と通院も投薬も途中でやめていました。

今思うと、反省が止まりません…。

 

慢性的な下痢やストレスが掛かった状態での腹部不快感には、思い当たるフシがある方も多いのではないでしょうか。

「たしかに辛いけど、どうせ体質で治らないから我慢すれば…」と思っているそこのアナタ!

お願いですから、ちゃんと医師に診てもらってください。

そして適切な診断と処方を受けてください。

IBSは治療可能な病気ですし、放置すると僕のように悪化して生活に支障をきたします。

かくして未曾有の体調不良の正体が明らかとなったのですが、ここで終わらないのは言うまでもありません。 

 

11月初旬「出社拒否」

病院に通い詰めていた頃は下痢で日常生活もままならなかったので、会社も休みがちに。

それでも仕事は関係なく追いかけてくるので、溺れながらも必死にもがき続けていました。

ベッドの中で電話をすることもあれば、便座に座ってメールを打つ日も。

当時の僕は、「そこまでしないと周りに置いて行かれてしまう」という不安に駆られていました。

自分が病気に苦しんでいる間にも仕事は発生するし、上司や同僚は僕以上に厳しいクライアントやタスクを抱えていることも把握してたし。

「俺だけがへこたれるわけにはいかない、絶対に負けてたまるか、病気に屈して劣等のレッテルを貼られてたまるか! 」意地になっていたんですね。

 

そんなある朝、社用携帯のバイブ音で目が覚めました。

「ああ、電話取らなきゃ…。」

そうは思ったのですが、なぜか身体が言うことを聞かないのです。

脳から足先まで生コンクリートを注がれたような感覚で、ピクリともしません。

「動かなきゃ、動かなきゃ、動かなきゃ」

どれだけ言い聞かせても、手は携帯を取れません。

気づくと、ベッドの上でボロボロと涙を流している自分がいました。

「ああ、俺は本当にダメになっちゃたのか…」

惨めで情けなくて、それでも体は言うことを聞かなくて、なおさら泣けてきて、僕はとうとう会社にいけなくなってしまったのです。

 

11月中旬「休職」

その後しばらくして電話で上司と話をして、二人きりで会って正直に現況を伝えました。

「しばらく休ませてください」と。

ありがたかったのは、僕への対応が非常にスムーズだったことです。

即座に役員へ報告が上がり、対策が話し合われ、「とにもかくにも休ませよう」という判断をいただきました。

社内手続きも迅速で、11月の中旬から2週間の休みをもらい、復職後はスタッフセクションへの異動も決まりました。

 

しかし事務手続きはスムーズでも、休職・異動にあたり、持っていた仕事を同僚に引き継ぐのが本当にしんどかった。

そもそも僕のいた部署は僕だけが忙しかったのではなく、課長含めほぼ全部員が月の残業80時間を超えていたんですね。

にも関わらず、僕がいなくるせいで他の部員の負担が増えてしまうことに大きな責任を感じていました。

 

「言葉では”気にするなよ”なんて言ってくれてるけど、心では僕のことを憎んでいるんだろう」

 

「今日僕に冷たかったのは、これ以上忙しくなることへの不満に決まってる」

 

「”お前がしっかりしていればこんなことにはならなかった” “もっと優秀だと思っていたのにガッカリだ” 影でそう言ってるに違いない」

 

根拠の無い不安で頭が不安になり、周囲の優しさが余計に恐怖を煽り、お腹の病状もさらに悪化の一途を辿りました。

職場のトイレで頭を抱えて涙を流したこともあります。

 

心療内科に通い始めたのもこの頃でした。

幸運にも腹を割って話せる先生に巡り会え、ありのままを伝えた結果、予想通り「うつ状態ですね」との宣告。

納得できる診断を受けたこと、そして投薬治療を始めたことで、少しずつ気が楽に。

引き継ぎ作業も何とか耐えしのぎ、ようやく休職前日までこぎつけました。

 

11月下旬「療養」

休職中はずっと実家に帰省していました。

家で終日読書をしたり、車を走らせて自然を感じたり、温泉に浸かったり、かなりリラックスできたと思います。

 

その間に治療として行った作業が3つ。

一つ目は、「自分の気持ちを嘘偽りなく正直に文章にすること」

この記事に着手したのはまさに療養中のことで、それ以外にももっとめちゃくちゃな文体で、それこそ泣きながらiPhoneにメモしたものがいくつかあります。

以前から自覚していたのですが、僕は自己分析が得意かつ好きな方だと思うんですよね。

そもそも自意識過剰でなきゃ前述の被害妄想には駆られないし、その傾向は今に始まったことでもないし。

だから今まで以上に、徹底的に自分と向き合い続けました。

 

二つ目は、「家族にできるだけ本音で話すこと」

本筋とは逸れるのでいつか別記事にしたいのですが、僕の性格的に家族には本音を話すことができません。

原因はわかっているのですが、ここは避けて通れないと、そう感じていました。

結果、6割ぐらいですかね…話せたのは。

それでも今はスッキリしていますし、乗り越えるべき壁を乗り越え安堵しています。

 

そして三つ目。

「この先の希望、ミチシルベを見出すこと」

自分がおかしくなってしまった現状、その原因を洗い出し、家族とも共有できたところで次にすべきことは、これからについて考える作業なのではないかと。

うつ病は未来への過度な不安と現状を否定するきらいがあると思うのですが、僕は何としてでも治りたくなった。

最初こそ「うつ病のおかげでつらい状況から逃れられた」なんて不純な気持ちになったこともありますが、自己分析を続けるうちに「うつ病な自分が嫌い」というフェーズにシフトしたんですね。

そしていつしか、「この先自分はどうなりたいのか、どう変わりたいのか」考え詰めました。

 

① 他人とのむやみな比較をやめる

② 他人への無根拠な思い込み・期待をやめる

③ 誰のものでもない、自分の指針に沿って生きること

こんなところでしょうか。

他者の目を必要以上に意識することをやめ、劣等コンプレックスから逃れることで、うつ病も快方に向かうのではと考えました。

 

さらに想定外だったのは、自分の人生をどうしていきたいのか、「ミチシルベ」はどこにあるのか、という領域まで思考が及んだこと。

これも仕事から離れ、徹底的に過去を見つめ直したことで辿りつけた境地なのかもしれません。

例によって追って記事にしますが、今後は「動いていく」所存。

そんなこんなで2週間はあっという間に終わり、12月から仕事に復帰しています。

終わりに

なんだかまとまりがなく、結局治ったのかどうなのか分かりづらいですが、今でも通院と投薬は続けています。

本ブログ最初の記事にもあったように、過敏性腸症候群うつ病に加えて「社会不安障害(SAD)」の診断も受け、完全回復まで1年はかかる見込み。

社交不安障害(SAD)という病気を知っていますか? | 社交不安障害(SAD)

 

それでも、何とか日常生活を送れるようにはなったこと、そして仕事ができるようになったのは救いです。

病気になった当初は「なんで俺がこんな目に…俺は周囲よりも劣った存在なんだ…」と自責的になっていましたが、今思えば「なんて貴重な経験をしたんだ」って感じですね。

だって、ストレスがピークを迎えたりうつ病になったりする、さらに大昔から僕を苦しめてきた「性格」を変えるチャンスがやってきたんだから。

 

最後に本記事の締め括りとして、僕がつらいときに親友たちがくれた言葉を記しておきます。

「自分の道は自分で正しくするしかない」

「考えようで世界は変わる」

「君は君の道を行け」

 

今後も闘病ブログにお付き合いいただければ幸いです。 

そしゃ!(←追って説明します)